クレイマー、クレイマー




不穏な空気



 去年、クレーマーの現物を初めて目の当たりにした。立場の弱いものを相手に、些細なことをネタに延々と暴言を吐き続けている。そのことによって自らの苦境を露呈してることにも、自分の姿の醜さにも気づかず。

 シルバー人材センターの草刈り班で仕事してた時に目撃しました。攻撃されたのは僕じゃありません。班の人が近隣住民に攻撃を受けました。

 こういう人たちは日々鬱屈感に苛まれている。ということは誰しもが知っていることと思います。これがさらにステップアップすると、深刻な事件につながる。


 小学生を無差別に殺傷した、2001年6月の附属池田小事件。
 店員3人が焼死した2004年12月のドン・キホーテ放火事件。
 乗客一人が死亡した2018年6月、のぞみ265号殺人&傷害事件。
 小学生を含む二人を殺害した2019年5月の川崎殺傷事件。
 35人が死亡した2019年7月の京都アニメーションのスタジオ放火事件。
 このほか、たくさんありますけど、ここまで。


 いわゆる劇場型犯罪とは対極にあるものです。とりあえず「爆発型犯罪」とでもしておきましょう。不特定に対する犯行が多いが、ターゲットを絞って攻撃する場合もある。

 共通するのは、犯行後、逃げ隠れせず、犯行を否認しないこと。自殺した例もありますが、世間に自身をさらす。劇場型犯罪はその逆で、犯行者として特定されないことが前提です。捕まらず、捜査側の非力ぶりをあざ笑うことに喜びを感じる輩です。

 爆発型犯罪が、逃げず、否認もしない理由は自明のことでしょう。自らの苦境をアピールする手段として、行動を起こしている。メディアが書き立ててくれることを望んでいる。「一人で死ねばよかったのに」という言い草は、(加害者にとっては)意味のない批判です。

 ターゲットを狙い定めている場合でも、実質的には無差別と大差ない。ターゲットと加害者との関係の妄想は、当人だけの身勝手な妄想にすぎない。たまたま目についた相手に対し、妄想を増幅させ、加害者にしか理解できない動機を作り出している。うまくいかない自分の人生の責任を他人に押しつければ、気が楽になるだろう。その標的は、偶然や気まぐれで決まる。


 事件の背景にあるのは、現代社会の過度なストレス。そこへコミュニケーションの希薄化が追い打ちをかけているように思う。友人や周囲の人たちとの対話の中で解消するはずの単純な問題が、孤立することにより、その道が閉ざされているような。

 人と会話することは大事です。表面的なあいさつ程度ではなく、ある程度は腹を割って話せることが。話すことによって解決の道が、自ら見えてくることがある。犯罪への道とは逆方向で、思い切った判断と行動をとることもできる。


 爆発型犯罪は、目立つわりには発生がまれな事件です。ですが、その背後には何十万人もの予備軍が控えている。彼らが行き詰まりの人生終わりに追い込まれれば、反社会的行動が激発する恐れがある。

 クレーマーやパワハラを禁止するといった、モグラたたき的な対症療法では解決しない。押さえつけても、鬱屈感をためこんだ人たちは必ず別の場所で暴走する。

 人を攻撃する人はたいがい、鬱屈感を抱え込んでいる。ストレスを生み出す社会の仕組みにメスを入れることが求められる。ネット上の表面的な関係だけでは癒せそうもない。リアルな世界でのコミュニティにも期待したい。

 根本的な解決にはそれらが必要なのだが、遠回りにすぎる。イージーな方策だが、大手メディアが協定を結び、容疑者の氏名を公表しないというやり方がありうる。加害者の動機の最大は、「自分がこれをやった」ということを日本全国に知らしめることにある。それを封じてしまえば、以後の累犯はなくなります。根本的な解決にはなりませんが。


ひょっこり通信 2019.10.13





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