オレたちゃ置き去りかい、と言う人たち




12人のイカレた男たち



 何かと問題視され、攻撃を受けているDEI。多様性と公平性と包括性とをまとめた言葉ですけど、世間的には少数者優遇という意味に取られることが多い。

 多様性では、性別、年齢、国籍、宗教、障がい、価値観など、様々な違いを認めて尊重する、となっている。この部分が攻撃されやすくなっている。

 少数者を保護することは正論ではあるが、そちら方向へ過度に振れると厄介な事態を招きかねない。過度でなくても、過度だと感じられてしまう場合は同じこと。


 「少数派から排除された多数派」が、自らの境遇に不満を感じてない場合は問題ない。今は、多数派(の一部)が生きていくのにすら汲々としている。自分たちが苦境にあえいでる時、なんで少数者ばかり優遇されるんだという感情を持つ。これは感情であって論理ではない。だからその誤りを理路整然と指摘しても、誰も納得しない。

 よくよく考える必要があるのは、(当たり前のことだけど)少数派より多数派のほうが人数が多いこと。こんな当たり前のことが忘れられている。

 多数派がまとまって不満を爆発させた典型例が、米国のトランプ大統領の再選。ほとんどの国にとって不幸な事態だが、最も不幸なのは当の米国人だろう。5歳の子供並みに、自らの行為の結果を想像できない無知で阿呆な人物が権力を握り、国を疲弊させる。現時点ではまだ破滅的な事態にはなってないが、そうなる可能性が高い。


 リベラルな立場の人たちに言いたいことがある。多数派の心情にも留意すべきだということを軽視している。自分たちの考えが絶対正しいのだという前提に立ち、異なった思いを抱いている多数派の人たちを排除している。

 正論にだけ目を向けて過剰にシフトし、生身の人間のヴィヴィッドな感情を置き去りにする。リベラル派のそうした身勝手な行為がしばしば危険な状況を作り出している。


 極右の暴走を無視していられた時代は過ぎ去ってしまった。破滅的な状況を回避するため、リベラル側の人もなんらかの意識改革が必要だし、自らの気質や体質を改める必要がある。

 リベラル系の人たちは右系の人たちをアホだと思っている。まあそれじたいは正しいのだが、舐めすぎている。右系は概して倫理感覚が乏しいため、反則を厭わない。少数者でも大きな効果をあげられる活動を積極的に実行する。SNSなどでの個人攻撃がその例。こうした反則行為をリベラル系の人たちはやらない。

 反則行為をしろと言っているわけではない。もう少し小狡い戦い方もあるだろう、ということ。


 おバカ系が不快そうに「最近、外国人が増えてきやがって」と言ってきたら、反発せずに「そーだよねー」で受け流すこと。「マナー違反ばっかりするし、犯罪も増えてくるんじゃないか」なんて言ってきたら、「そーだよねー」と言ってから「でも、いいやつもけっこういるんだけどね」ぐらいでさらっと流してしまえば、「そうかもな」と言ってくれるかも。柔軟な対応ができるかどうかは、包容力の深さによって決まる。

 リベラル系の人が好んで使う「きれいごと」は、ニュートラルな人の心にすら届いていない。「なるほどごもっともですねー」でスルーされて終わり。仲間内では通じ合えるが、それはエコーチェンバーとどれほどの違いがあるのか。


 DEIへ過度に寄り添う言葉はきれいごとに聞こえる。外国人問題で移住・移民を全面受け入れは過激にすぎる。よりマイルドに「少しは外国人の労働者も必要だよね」ぐらいで。

 LGBT(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender)のことなら「いいじゃん、人のこと、ほっときゃいいじゃん」ですませられる。夫婦別姓も「いいじゃん、無視すれば」で。なに言ってもガンとして動かない輩はほっとくこと。

 要は無用な争いごとを拡大させないこと。「たいしたことじゃない」と、熱をクールダウンさせる。論争が物事を解決させるっていうのは、幻想だ。


  ひょっこり通信 2025.10.12




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