捨てる人、捨てられない人


捨てる人、捨てられない人

去年一年間、必死になって持ち物を減らした。それ以前からも処分を続けてたが、かなりいい年になり、片づけなければと、切迫感が強い。現在67歳。来月は68になる。

長岡京市では、今年の2月1日から可燃ゴミの指定ゴミ袋制がスタート。物を捨てるにはいい機会だ。徹底的に減らし、半減は無理としても、三分の一ぐらいは減らせるかと思った。

結果、どうだったか。ちょっと減ったが、大差ない気がする。もう一年、徹底して実行する。なくては困る必須のものだけに絞りたい。


物の処分を「いずれそのうちに」と思ってる人は死ぬまでやらない。「いずれ」という時期は永遠にやってこない。処分はイヴェントではなく日常業務。「これはいらない」の選別を毎日やる。

コーナーを分け、「今日はこの引き出しだけ」というふうに限定し、不要物を選び取る。同じ箇所は一回で完了しない。五回でも六回でもしつこくやる。次はどこの何を捨てようか。毎日所有物をにらんで思案する。

不要品は「不要」と書いた箱もしくはコーナーに放り込んでおく。後日、あらためて吟味し、本当に捨てるものと活用するものとに分ける。決まらないものは拙速に決断せず、そのまま「不要」に留め置く。

本やCD、画材、台所用品、各種道具、機材、家電。少しずつ減っていく。棚やケース、引き出しがスカスカになった。寄せてまとめて棚などを減らしたいが、難しい。下手に動かすと置き場所を忘れる。整理場所のレイアウトは、よくよく考えてからだ。

捨ててしまってから「ああしまった」と思ったことは何度かある。が、結局は、ないならないで、なんとでもなるものだ。


ものは減ったが、必要と判断して残したものも多い。電子レンジもエアコンも扇風機もパソコンもタブレット端末も携帯電話も自転車もある。

ないものを挙げる。食洗機、暖房専用器具、電磁調理器、スマートフォン、台所の湯沸かし器。枕、パジャマ、写真アルバム。これらはたいがいの家庭にあるものだと思う。

処分しようかと迷ってるものの中には、あるのが当然とみなされてて、捨てたら白い目で見られそうなのがある。書くのがためらわれるが、一つは包丁。食材を切るのに使ってるのはナイフ。これでキャベツでも大根でも切る。書くのは包丁だけにします。


知恵袋本が好きでよく読む人は、それを活用しない。読んで、「なるほど、そんなやり方があるんだ」で、おしまい。

ものを多く持ちたがる人は貧乏性です。豊かになったと錯覚したがっている。雑然とものが増え、よけい貧乏くさくなる。

ものを減らすのには大変なエネルギーを要する。それを知れば余計な買い物も抑えられるでしょうに。

捨てることは、自分自身の過去と未来の一部を切り捨てることになる。削り落とすにも強い意志が必要になる。まだ終わってない。減量は続けてます。

かようにものを捨てるのは大変なこと。しかし自分の死後、整理のつかない私物が家の中にあふれかえっているという状況を、一度想像してみてほしい。誰かに後始末という重荷を背負わせることを認識してほしい。自分にとっては思いの強い宝物の集積であっても、ほかの人にはただのゴミの山です。


ひょっこり通信 2021.1.1 (通信の発行は2月21日となっています)

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