捨てるココロあらば拾うココロなし以前から少しずつ持ち物を減らしてはいました。シンプルな生活に憧れます。物を持たないことによる豊かさがあってもいいでしょう。 今年に入って、減らす勢いに拍車がかかりました。所有物は少ないほうですけど、ぼちぼちしまいどきも考えねば、と思って。 今の居住空間は四畳半、六畳、そして台所+玄関が六畳と、一人で贅沢な空間を使ってる。こんな広さはいらんだろ。減らして生活空間をもっとコンパクトにできる。 とりあえずは一部屋空っぽをめざして物を整理していこう。できたら今年中に物が半減できたらいい。半減したら、そこからまた半減をめざそうかと。そしてまた半減。こんなふうにして最後はほぼゼロになったら身軽でいい。そこまでいかなくても、あとあと誰かが負担を背負うようになる荷物は、極限まで圧縮すべきだ。 本や音楽ディスクは容赦なく処分。調べ物に使う以外、なくて困ることはほとんどない。映像ソフトはもとからほとんど持ってない。他人の創作物を所有してあげるのって、意味あるのかな。自分の創作物でさえ平気で捨ててるのに。 ノスタルジーとか思い出とかにはあまり引きずられないほうなので、記念品に類した物は皆無です。スナップ写真すらあまりない。懐かしいとか思わないし。 連日、物を処分してますが、なかなか進まない。ふんぎりをつけにくいものが多い。無理に捨てるとあとで後悔する。迷うものはとりあえず「捨てるかも」コーナーにまとめておく。あとでじっくり検分し、捨てる・残すに分類する。物によっては用途を変更して「残す」になるものもある。 何年にもわたって処分を続けてきたから、収納部分はスカスカ。棚、引き出し、プラケース、段ボール箱。減ってくると寄せて詰めて、空いた収納具を捨てる。大きな本棚は、いつのまにか「本」棚ではなくなっていた。 捨てる習慣がつくと、徐々に気持ちがその方向へ走り出して、ふんぎりがつき始める。捨てられないというのは、なんらかの思い込みによって縛られている可能性がある。過去への過剰な執着なんて、捨てりゃいいんです。 今まで「聖域」としてアンタッチャブルだった領域にも手を入れた。特に本。読み返すことがほとんどなく、利用しない所有物。絶対読み返さないのなら捨てていいはず。ということで、バッサリやりました。 気になってた本、引っかかりを残してる本は保留に。そんなに多くないので、時間を作って読み返す。読むのは一回だけ。だからきちんと読む。再読して得心できれば捨てる。ポール・ギャリコの『愛のサーカス』、ジョン・ハットンの『偶然の犯罪』、秦恒平の『月皓く』などはそれ。いずれも傑作だが、あくまで僕にとっての傑作。 整理処分するのは年齢を意識しているからでもある。65ですからね。そろそろやっとかないとヤバい。同様に思ってる方も多いんじゃないですか。でも、「やらなきゃね」とか「そのうちに」なんて言葉が口をついて出たら最後、永遠に始められない。やる気がないから先送りする。思った時に始めてなきゃ。 整理処分して物を減らすのには気合いが必要です。時間やエネルギーも必要。僕みたいに持ち物の少ない人間ですら何年もかかります。できるうち、体が動くうちにやらなきゃ、身内の誰かか赤の他人に負担のツケ回しをすることになる。 集中して一気にやろうとしたら挫折する。引き出し一つとか、ちっちゃなところからやったらいいです。毎日一箇所ずつと、習慣づけたらやれる。 ほとんど捨てられず、大半が残ってしまっても気にしない。今はだめでもいつか見切ることができる。一箇所を一回で終わりにせず、何度でも見直す。そのたびに捨てるものが見つかる。こういうことは時間がかかるのです。 とことん減らしてそのあとどうすんのよ。そこまでは考えてません。住処を変えて居住費を減らそう、ぐらいには思ってます。具体的にはまだ何も、なんですけれど。 ひょっこり通信 2018.6.17 |
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