右翼の思考




右翼の思考



 うっ屈した思いを極限まで抱えた人は、ときとして無差別殺傷に走る。彼らは犯行後、逃げないし、身元を隠すこともない。メディアを通じて大々的に報道されることを期待している。自分の怒りや不満、絶望の大きさ深さを社会全体に知らせたいと思っている。自覚はなくても、殺人が切実な自己表現になってます。

 凶行に走る者たちを尻目に、人目につかない場所からうっぷん晴らしをする、ずるい輩もいる。彼らは慢性的な絶望感にあえいでいる。心身ともにひ弱で、反撃されることを極度におそれるので、立場の弱い、反撃できない人たちを捜し出して叩く。犯罪加害者の家族を攻撃して憂さを晴らすといったような、卑劣な連中です。

 彼らに対して「卑劣だ」などと言っても無意味。それがいけないという認識はない。一様に共感力が欠け、倫理的な自己抑制とは無縁だ。

 彼らは経験上、誰にどういう言葉を投げつければ最も傷つくかをよくわかっている。人道的な立場から建て前的なことやきれいごとしか言えない人権派や市民派を毛嫌いし、軽蔑し、遠ざかる。そしてその対極にある右翼になびく。彼らが右翼の人的な供給源になっている。


 右翼の側もたくみに社会の不満分子を取り込む。右翼と右翼予備軍は、組織化されないままに膨張している。そのほとんどすべてが、発散しきれない大きな不満を抱え込んだ者たちだといって過言ではない。

 右翼予備軍は、必ずしも思想の上では右翼とイコールではないのだけど、扇動されることで右翼思想に同調していく。定住外国人の増加や、男女共同参画の流れが日本を腐らせていると教えられる。正しいかどうかは考えない。問題を他者に求めて自身の問題から目をそらすと、気が楽になるから。

 家父長制度の崩壊が日本を弱くしたと、右翼は本気で考えてる。女は専業主婦をして家事と育児だけ担っていればいいと考えている。時代遅れとしか言いようがない。


 市民派や人権派あるいは左翼といった人たちよりも、右翼や右翼予備軍が確実にまさっている点がある。戦術的な思考が行き届いていることです。それは好戦的な体質と連動している。彼らは費用対効果、コストパフォーマンスを重視する。たとえ少人数でも効果を上げられることを見つけ出す。この点では学ぶべきところがあるが、反面、目的のためなら手段を選ばないという性癖がある。

 右翼はいったん思いこむとその思いこみに固執し、いくら現実や事実から乖離していようと修正がきかなくなる。この傾向は市民派・人権派・左翼にもあるが、右翼のほうが顕著。それは多分に彼らが平均して低知能だということに起因する。思いこみにしがみつきたくなるほどの切迫感や焦燥感を自身の内に抱え込んでる、ということもある。


 右翼民族派団体が発行する「国際派日本人の情報ファイル」という無料メルマガを購読している。中身は購読者の投稿を選択して載せるというスタイル。  右翼ウオッチングという動機もあったけど、かつてはまともな論を展開する筆者もいた。最近は低劣で偏狭な少数の投稿者だけになり、めったに「読める」文章が載らない。

 見苦しい悪罵や狭量な意見を吐き散らし、おのれの無知無能をさらけ出す。自分たちと意見の異なるものがいれば「反日左翼」「敵国スパイ」とののしる。世間的には通用しないが、内向けの通信だから同調してくれると思っている。右翼だって温度差や考え方の違いもある。無考えな連中を苦々しく思ってる人もいるだろう。


 右寄りにシンパシーを持つ人とのかかわりは多少ありました。話が通じず、ろくに対話をしなかったのを思い返す。彼らの考え方も直接じっくり聞いてみたかったと、今になって思う。

ひょっこり通信 2010.9.12




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