京都の秘境 ビルマ僧院跡(八幡市)


ビルマ僧院跡(八幡市)
最寄り駅:京阪八幡市駅



ビルマ僧院跡


 八幡市こもれびルートの北側起点のすぐ近くから、ビルマ僧院跡に通じる道を見つけました(下の地図を参照)。15年前の写真ではまだ壁が残ってましたが、崩壊しています。

ビルマ僧院跡


 元海軍軍人病院などというデマもあり、一部で心霊スポットとして盛り上げる風潮がありますが、心霊スポットではありません。個人の敷地内なので、あまり派手なことは慎んでいただきたい。


石仏と記念碑


 そのすぐ北に石仏と記念碑があります。こちらは原型をとどめている。近くだが、無関係でしょう。石碑には「天業恢弘八紘一宇」という、軍国主義の権化のような文言が彫ってあります。どこのアホがこんなの建てたんでしょ。「業」の字が「糞」に見えてしかたないんですけど。


 石碑の脇から北へ下りていく道がありますが、残念ながらこちらは完全に封鎖。絶対出入りできません。行き方は地図にある通りです。南側からの他に出入り口はありません。

立入禁止静かに!




ビルマ僧院跡の地図








[追記2018.12.21]
ビルマ僧院跡


 ビルマ僧院跡、再度の調査。建物の敷地面積がだだっ広く、おまけに竹林に妨げられ、全体を一枚で写すことが不可能なことに気づいた。

 で、パノラマ写真。じゃないけど、2枚をつないだ。

 上から眺めて気がつきましたが、切った竹をどっさりかぶせている。遺物を見えなくさせるためと思われる。

ビルマ僧院跡


 2010年前後と思いますが、北からの入り口は封鎖されました。同時に建物を破壊したようです。心霊スポットとして有名になり、夜中に大声を出したりして騒ぎたて、近隣の迷惑になったということです。

 遺跡としては跡形もないように破壊したらしい。ここまでやればアホな連中が来ないだろうということで。大量の竹をかぶせたのも、そのためでしょう。それらしいものが何もなければ、誰も来ない。

 京都府八幡市 ビルマ仏教布教センター予定地跡
 ここの記事によれば、ここは「ビルマ仏教布教センター予定地跡」が正しいようです。建設開始が1957年ごろ。


 近くにある石碑と石像には手をつけられておらず、そのまま残っています。これはビルマ僧院跡とは無関係だから。1940年の10月8日、八幡で紀元2600年記念の「天業恢弘八紘一宇記念塔」の除幕式があったという記録がある。仏教布教センターよりずっと前です。

 石像に関しては由来がわからない。同時に建てられたものと考えられるけど。

 像の向きが気になった。東北に向かって立っている。京都御苑の方向かと思ったが、大きくずれる。その方角にあって思いつけるのは伏見稲荷ぐらい。意図不明です。

遥拝指標

 遥拝指標がある。ここには「京都御苑」もある。が、像の向きとは違っている。向きを間違えた、ということはなかろうが。


石像が手にしているもの

 手にしているものも、先が破損してるので、よくわからない。この仏像はなんという仏なのか。それがわかれば見当もつくが。


 ビルマ僧院跡(ビルマ仏教布教センター予定地跡)は1957年。記念塔はそれよりも早く、1940年。無関係なのは間違いないとして、なぜこんな近くに日本釈尊正法会が布教センターを建てようとしたのか。なんの関連もなさそうなんだけど。






[追記2021.10.10]
 久しぶりのビルマ僧院跡。なんの変わりもありません。

ビルマ僧院跡

ビルマ僧院跡

 地図の左上の墓地方面からの進入路があるかもと、探しました。ない。今回もいろいろ調べたんですけど、結局入口は一箇所のみ。


ビルマ僧院跡の地図




女神像と石碑

 代わり映えしない僧院跡はさておき、今回注目したのは名前すらわからない女神像。僧院跡から離れた位置に立っています。立っている向きも気になります。石碑は北向き。石像は東北のやや東寄り。


女神の顔

 顔部分をアップ。美麗な相貌です。ヘアスタイルを見れば仏教とはなんの関係もないことはわかる。古代の女性でしょう。おおよその年代がわかればいいんですが。


遥拝指標

 遥拝指標です。「身延山 宮城」はなんでしょうか。像の向きはその方角と違ってますが、無関係とは思えない。石像に関するヒントがほしい。

 地図をじっくり眺めて、女神が見ているのは明治天皇の伏見桃山陵ではなかろうかと思った。なんとか資料を探し出して正体を見極めたくなった。


女神像

 下の道から見上げる。心配げな顔で見下ろしてくれている。





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